東大野球部投手歴代勝利数第3位!野球も仕事もエース級!

大山 雄司

おおやま ゆうじ

生産・技術部 保全・エンジニアリンググループ


仕事への誘い(いざない)


現在は、2020年の東京オリンピック開催に向けて、東京港 臨港道路(南北線)の海底トンネル(沈埋函という鋼でできた“はこ”)の製作工事を、プロジェクトマネージャーとして推進しています。非常に大規模な構造物であり、三菱重工横浜製作所の大型ドックの中で大規模な組み立てを行っています。当社は、橋梁だけではなく、このような大型の構造物の製作も行っており、数多くの実績があります。橋を造るには、工場での品質管理だけはではなく、設計や現場と連携が不可欠です。どの部門も責任を持って、限られた時間の中で仕事をしているため、時には利害が対立します。良いものを造るための「産みの苦しみ」みたいなものがあり、各部門の意見を聞きながら、全体で最適になるように、工事を進めていくのがプロジェクトマネージャーとしての自分の役割になっています。苦労が絶えない仕事ですが、高品質の製品を社会に送り出し、社会インフラの整備に貢献できることが、最大の魅力であり、励みになっています。



大山さんに聞いてみました


もともと、橋の仕事に興味があったのですか。

大学では造船が専攻でした。入社は長崎の造船設計部門でしたが、当時、長崎県に「生月大橋」という離島架橋プロジェクトがあり、その関係で、橋梁の設計をやるようになりました。当初は、そのプロジェクトが終了したら、また造船分野に戻る予定でしたが、橋の建設工事に携わる中で、その魅力に取り付かれ、船に戻ることなく、今日まで、橋の仕事を続けています。その後、橋梁の主力事業所であった横浜の設計部門に異動し、さらに、設計から生産部門への異動を経て、20年以上、橋梁の生産業務に従事しています。


大山さんといえば、やはり、野球ですが、野球で培ったことが、仕事に活かされていることはありますか。

スポーツをやっていた人は、その経験が仕事に役立っていると語ることが多いと思いますが、私の場合には、少し違っていて、野球は野球、仕事は仕事なんです。確かに、多少のことにはへこたれません。メンタルの面では、相当鍛えられたところがあると思いますが、野球も仕事も、好きだから、情熱を持って続けてこれたというのが正直なところですね。


今までの仕事で、最も印象に残っていることはどんなことですか。また、橋梁の仕事でやりがいに感じるところはどこですか。

やはり、橋梁でやっていこうというきっかけになったのは、生月大橋です。橋が開通したときに、島のおばあさんが、橋に向かって手を合わせ、「島の悲願が叶った」といって喜んでくれた姿は、今でも心に焼き付いています。あと、月並みかもしれませんが、橋というのは、人々の生活の日常に溶け込み、それが目に見えるか形で、世の中の役に立っていることが実感できます。魅力でもあり、やりがいを感じます。また、そのような構造物を造り続けねばならないという責任感も強く感じます。


MMBの魅力は、何ですか。

筋が通っていれば、自分が思った通りに仕事ができることですね。ですから、当社の技術者たちは、自分たちの信念を強く持ち、個人個人が強い責任感を持って仕事をしています。また、当社は、自分たちの技術の強みを活かして、以前とは違う存在感をこの業界に示し始めています。将来が非常に楽しみです。


最後に、就職活動している学生さんに一言お願いします。

技術者としては、特定の分野に長けたプロフェッショナルを目指すこともいいですが、これからの時代は幅広い視野を持ち、柔軟な発想を持つことが大切であると思います。確かな技術力のもとに、その力をプロジェクト毎に当てはめ、最適化できるようなスタイルを持った技術者を目指してほしいですね。色々な業種や技術のコラボレーション、新たなイノベーションを起こすようなバイタリティーを持ってほしいと思います。一方で、我々の会社は、基本的に「モノづくり」会社です。社会資本となる「モノのかたち」を決め、材料を買い、モノをつくり、現地に据付ける一連の業務をなりわいとしています。しかし、最近は、この中の「モノづくり」の部分が、当社だけでなく、世の中全体で、少し軽視されているように感じます。ですから、製造に携わる人たちと一体となって、「自分たちでモノを作る気持ち」、「モノづくりに対するリスペクト」を持ち続ける技術者を目指して欲しいと思います。